おひとりちょばあひとり言

今までのいろいろと、日々のいろいろやら書いてます。

仕事  働く その壱

こんばんわ。
といかもう少ししたらおはようございますですね。


仕事について少しお話したいと思います。


閉店に伴い解雇されましたが職種は「飲食」です。
コロナの影響かなりありました。
もう1年半ですからね。
全国展開はしていましたが本社は関東なのでかなり厳しい状況が続いていました。
少しでも売上を出そうとかなり現場に無茶ぶりと思える状態が続き、
経営陣も迷走している感じを受けていました。
おかげで辞める1年間ではとれた公休は何回だったでしょうか。www
昭和生まれでサービス残業なんて当たり前だった自分でもそろそろ
身体的にも精神的にもかなり疲弊して来ておりました。


なんといっても職場には「大人」は自分一人だけだったのです。
他はすべて大学生と高校生。
およそ2~3年周期で退職し毎年ニューフェースが入り教育をしていかなければなりません。


「辞めていく」前提で採用し教育する。いつまでも続く子育て。


16年の間にもちろん自分の子らも育てていましたが、同年代の間はやはり自分の子と
同じ感覚で指導するようになります。
でも、年代が変わっていくにつれ、スタートラインがどんどん下がっていく。
そして薄くなっていく学生同士のつながり。
「先輩が後輩に教える」ということが能力的に不可能になっていき、その仕事も自分の
領域に入ってきたのです。
加えて、「生活」が困窮しているわけでもないので仕事に対しての必死さもあまりなく
サークルだとか試験だとか帰省だとかで繁忙期も普通に休む。
採用の時には出るという条件もなし崩しになって行きました。


コロナで大学生活もほぼない状態で暇な時間に稼ごうという気持ちなので、大学が再開すれば当然そちらが主になることはわかります。
親が帰省しろと言う学生がかなり多いのも最近の傾向でしょうか。


そうして出来た不足のところをすべて自分で補わなければならないのです。
当然平日の昼間は大学生は授業があるので出勤は不可能です。
自分はありきでのシフト作成。
主婦は誰も働きに来ません。


当然休めません。


3ヶ月は休まずに働けました。


体だけ動かすのならなんとか持ちます。
でも、他の業務もあるのです。


体は一つしかありません。
自分で自分を追い込んで行く状態が続きました。。。